コロナ禍で表彰を見送っていた過去2年分も含めた2019年度〜21年度の受賞作が対象で、BuzzFeed Japan Medicalの「大麻使用罪の是非を問う特集8本」も含めたのべ19メディアが受賞した。 表彰式に続き、2017年6月に覚せい剤取締法違反で逮捕された俳優、橋爪遼さんが事件後初めてメディアの前に登場し、回復への歩みや報道の影響について語った。 大勢のメディアや観客を前に緊張した面持ちの橋爪さんに対し、無理やり引っ張り出したという田中さんは「こんなにフラッシュを焚かれると『あの日』を思い出すみたいな感じですか?」といきなりカウンターパンチ。 「さんざんバッシングされると人前に出るのが怖いですか?」 そう聞かれると、橋爪さんは「それ(逮捕)で自分は終わってしまったので、そこから5年間は何もメディアに出ることもなかった。高知さんという先駆者がいるからこの場は安心していいと承知しているのですが、やっぱり緊張はしますね」と答えた。 高知さんのこともメディアに引っ張り出した田中さんは、芸能人が回復している姿をメディアで見せることの意義についてこう語る。 「回復のプロセスを語るということが今まで日本には欠落していた。捕まった時は叩くけど、特に芸能人の回復プロセスはわからない。そこに対して高知さんや橋爪さんが果たしてくれる役割は大きいですよね」 松本さんも「橋爪さんが今回出てくださったことに心より感謝したいし、今日参加している人も、高知さんが何年か経っていく中で変わっているのに気づく。そのプロセスを見ていただくことが一番みんなに回復を信じてもらえるような気がする」と言うと、 高知さんは「自分自身でもだんだん俺は成長している、アップデートできていると実感しますもの」と答えた。

逮捕「何もかもが終わった」

覚せい剤を始めたきっかけについて「興味本位だった」と言う橋爪さんは、法規制から免れたドラッグを20代半ばぐらいから使っていた。その時に、覚せい剤を持っている人にも出会った。 「正直言って、『これが許されるなら、これもいいかな』ぐらいの軽さでした。使ってみて、ああ、こういうものがあるんだという感覚でしたね。もちろん使っていない時期もあるし、『仕事の前には使わない』など自分のルールを作って使っていれば、何とかなるだろうという考えでいました」 「いつでも止められるわと、頭の片隅に絶対にあったと思います」 しかし2017年6月、友達が警視庁に張り込まれていたことから、一緒にいた橋爪さんも逮捕された。 逮捕された瞬間、思ったのはこんなことだ。 「終わった。もうそれだけですね。何もかもが終わったという気持ちでした。でも変に『俺は名前が(有名では)ないから』という考えもちょっとありましたね。そこまでの報道になるとは…。もちろん迷惑をかけることもわかっていたし、それを納得せざるを得ない状況でした」 留置中はメディアで大々的に報じられている情報には直接、一切触れられなかった。 「人づてにすごいことになっていると聞いて、裁判所に向かう時の報道陣の数を見て、『しまった。ヤバいことをした』と改めて思ったのが、その時の気持ちでした」 橋爪さんは、名俳優、橋爪功さんの息子でもあり、「二世はやはり甘えている」という二世バッシングの報道も酷かった。逮捕後、父とは一度も会っていないのに、「父に叱られた」という報道もあった。

二世俳優のプレッシャー「溜まっているところはあった」

薬物を使う背景となった生活についても語られた。 高知さんは幼い頃から親がいなかったり、母が自殺したりなど、寂しい感情を押し殺しながら過ごしてきた。 松本さんは、そうした一人では解決しようのない感情と、薬物との関連についてこう解説する。 「(寂しさや怒りなど)胸の中でぐつぐつ煮えたぎっているものを、お酒や依存性薬物はいい具合に鎮めてくれる。快感ではないと思うのです。グツグツしているものがちょっと楽になるということで済んでいることもある」 「さらに言えば、そういった薬を最初に勧める人は、自分の憧れている人とか自分のことをすごく理解してくれた人とか、初めて認めてくれた人。断れないに決まっている。そこも伝えていかなければいけないと思うのですね」 高知さんに薬物を勧めた人も憧れの人物だった。 「自分の理想で目標としている人が目の前にいて、『俺もこの人みたいになりたい』という人が薬物を使っていた。自分の方から仲間になりたかった。そうしたら薬物が回ってきた、嬉しかった、ということでした」 橋爪さんに薬物を勧めてきたのも、仲の良い友達だった。 「肩書きを取っ払って、自分個人として付き合ってくれていると思っていた」 有名俳優の二世でもなく、芸能人としてではなく、ありのままの自分を見てくれる友達が勧めてくれたドラッグ。断る理由がなかった。 「二世として生まれてきたことに少なからず、軋轢があったり、プレッシャーがあったり、何かがあったのですか?」 田中さんがこう尋ねると、橋爪さんは言葉を探しながら、こう答えた。 「人前に出る時とか、(橋爪功さんの)家族なんだからしっかりしなければいけないという思いは、例え言われなくてもそういう風になってきますよね。父がメディアに出てくる中で、いいお兄ちゃんであろう、いい息子であろうと子どもの頃から思い続けてきたことが、意識してなくても溜まっていくのだろうと思います」 芸能界には、橋爪功さんの息子だから、ということで近づいてくる人も中にはいた。 「少なからず息子として言われることも当たり前だったし、自分も同じ職業を選んだなら当たり前なんだから、頭で最初から理解しているし、そういう風に言われることは大前提なんだとやってはきました。自分も受け入れて進んでいるけれども、自分が意識していないところで溜まりに溜まっているところはあったのだろうなと思います」 「回復して、言葉を持って、時間が経ってから、実はあの時私は苦しかったんだなとかプレッシャーに感じていたんだなと気づくけど、辛い時は辛いってわからない」 松本さんも専門家としてこう説明する。 「辛い時は軽く興奮して必死のテンションになっていると、痛みや肩が凝っているとわからないことがある。特に依存症の人は自分の疲れや心の傷つきに気づきにくいと言われています」

今はアルバイトを掛け持ち「もう一度お芝居がしたい」復帰を許さぬ日本文化

橋爪さんは2017年に保釈時を深々と頭を下げたのを最後に、メディアから姿を消した。 「その後に直行で奈良にある回復施設に入って、回復プログラムを3年間受けていました。なんとか無事卒業して、今も奈良で一人暮らしして、バイトを2〜3個しながら生活しているのが現状です」 5年経ち、「こんな毎日でいいのかな」と悩んでいたところに、田中さんや高知さんと出会い、今回の登壇につながった。 「ラッキーと言えばラッキーかもしれないし、緊張と言えば緊張だと思うのですが、しどろもどろの状態が今の心境です。ただ、決して悪い方向には進んでいないのだろうなという風に思います」 5年経ち、これから先のことも考えるようになった。 「回復していく中で、自分の夢というか、もう一度お芝居がしたいという気持ちを持つこともある。でも現状、何もない状態だからこそ、『そんなの無理だ』と思ってもいる。その循環の状態だった。単純に何か表現ができたらいいなと思いながら進んでいくということでしょうか」 「一歩踏み出した時に頭にあるのは、表現をしたいという気持ちなので、純粋に進んでいけたらいいかなと思っています」 芸能人が薬物で逮捕されると、「芸能界に戻ろうと思うな」というバッシングが社会にはあふれると田中さんは指摘する。 「でも高知さんも遼さんもそれしかやってきていないのに、他に何をやれというのと思ってしまう。得意なことに戻られるのがいいと思うし、それで稼いでもらって税金を払ってもらったほうがいいんじゃないか」 松本さんもこう賛同する。 海外では、芸能人が薬物で逮捕された後、かつての同僚やスタッフが復帰を応援する文化があるが、日本は罪を償った後も、いつまでも元の居場所への復帰を許さない。 「そういうの(応援する文化)が日本にはなくて、応援すると応援した人がまた叩かれるようなところがある。その根性は何なのだと思ってしまう」と田中さん。 「もしかするとお金を出す企業がコンプライアンスにナーバスになっているのか、ある年代の人たちは依然として厳しい目線があるのかもしれない。ただ若い人たちは変わっていると思うのですけれどね」と松本さんも言う。 「人前に出て、目立って輝いていた人たちを引き摺り下ろす快感をシェアしあっている気がして、すごく醜いコミュニティができているなと思うのですね」

回復を祝福する社会へ、メディアも役割を果たせ

薬物問題で逮捕された人物に日本社会は冷たい。 しかし、高知さんは叩かれ続け、頭を下げ続けることではなく、仲間と助け合う関係性が回復を支えてくれたと話す。 「そうなってきた時に初めて、自分自身に向き合うことができた。もちろん自分のしてしまったこともつかみながら、『ありがとう』という言葉に包まれた時に、初めて明日から進むべき道が見えてきた」 松本さんは「すみませんとか、ただ謝らされているばかりの時は前に進めないし、内省や回復も始まらない」と話す。 橋爪さんが「回復できそうだ」と思えたのも、先ゆく仲間との温かい関係性を信じられたからだという。 「施設に入って最初は誰も信じられなかったし、良くなるよという言葉にも耳を傾けられなかった。一番のきっかけはそこの人たちと仲良くなったことです。みんなのことを好きだと思ったのが続けようと思ったきっかけの一つだった」 「この人たち絶望を味わったはずなのに、なんでこんな楽しそうに話しているんだろう。こういうふうになりたいなと思えたのが続けられたきっかけです」 そうして回復した高知さんや橋爪さんが、今度は自分の体験を表で語り、依存症に対する社会の理解を広げている。 自身もギャンブルや買い物依存症を経験し、今は仲間の回復支援の活動に力を注いでいる田中さんは、「自分の使命や役割を見つけると、依存症だった過去に納得がいくし、落とし前がつく」と言う。 「全ての失敗の歴史も含めて自分の使命につながっていて、そういう経験があるからこそ人を助けることができたり、回復のいいきっかけを与えることができたりする。黒歴史が黒歴史じゃなくなる」と松本さんも言う。 そして田中さんは、「やりたいことをやれるようになるのが回復の醍醐味」で、メディアはそれを応援する役割を担ってほしいと訴える。

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